第5章 ゼロからの出発 ①リーマンショックが後押し

2021年2月26日 7:00 am

いつも時の節目に何かある。

20歳・・・天皇のご逝去により、昭和から平成へ移行。

30歳・・・化粧品業界からエステ業界に移行。

40歳・・・会社を辞め、企業。

50歳・・・平成から令和に移行。

 

私が独立したのは、リーマーショックの翌年2009年

リーマンショックの波は、私の人生で最も苦しいときであったように思う。

某大手エステの部長であったが、リーマンショックのなみで業績悪化が深刻化。

㈱が紙切れに代わり、役員は軒並み自己から減給や役職返上をしつつも、リストラは免れなかった。

当時わずか年間48万しかなかった大赤字のスクール校長を兼務しながらも3年目では分校を構えられるほどまで成長していた。

エステ本体も年商68億から3年で150億を超える成長を遂げていて、まさかでしかなかった。

4月から夢をもって1年コースに入学を予定していた高校生やその親御さんに頭を下げ、他校紹介を行い、自己が育てて来た部門スタッフの転職先を必死に探し、

私自身も教育部長として残留を行って頂いたものの、自分だけが残るという決断にはならず退職を決意。

泣きました!!

怒涛の3年だった。必死だった。それだけに黒字だった自己部門を犠牲に自ら踏み切ったのは本当に苦しかった。

 

履歴書を遡るように、以前の勤務先より誘いがあり古巣に戻ったが、甘くはなかった。

待っていてくれたのは、あくまでも本部。

現場を束ねる営業・現場は裏切り者とののしられ「なんで?」という悔しさと切なさが日々続いた。

現場店長であったことや教育部であったこともあり、本部内の課題に合わせて目まぐるしく部署異動しながら2年目を迎えた頃

売上低迷のあおりが一気に加速。当時現場を束ねる営業管理部にいた私は、リストラの元データづくりをしていた。

この頃は刺されることすらも覚悟するほどの大量の人数整理。頭でわかっていても、やはり辛い。

いよいよ一緒にデスクを並べる仲間たち派遣・パート、社員すらもほとんどを整理されることになった。

私が辞めれば派遣やパート数人の給与の差し替えになると、当時はあさはかな考えの元、自らが出戻りであることもあって早々に退職を決めた。

 

また、泣いた。

40で次の仕事が決まっていたわけでもない。

世の中はリーマンショックで揺れていいる。

いくつかの面接は受けた者の、年齢的には狭き門。自分のプライドも邪魔をした。

私の決断は「独立」何のスポンサーやバックもなく、サラリーマン時代の貯金だけしかなくて・・・

でも、度重なる時代の波に翻弄され、走っては「ゼロ」に戻る苦しさに疲弊していた中での決断だった。

キャリアウーマンの意地だけが勝った。

 

私にはパートナーはいるが、我が家は独立採算制。もちろん親にも頼ることはできない。

今思えば「頼るものがない」ことが私を強くした。サンキュー!!

 

何の根拠もないまま、株式会社を立上げ、社員ゼロの代表取締役に!!

そして、何の成功の保証もないのに当時家賃35万の事務所を高田馬場の駅前に借りて・・・

今思い返せば無謀。

 

でも、偉かったなぁと思うのは、企業にあたり経費の掛かるWEBコーティネーターの勉強をしたこと。

サラリーマン時代も一番の経費は「人件費・家賃・広告経費」

ちょっとなおすだけで3万、10万が飛んでいく・・・

学んだおかけで、今もHPの更新やテキストや名刺、リーフレット様々な部分で大きな経費削減になっている。

偉いぞ、私!!

まさに40の手習い!!

リーマンショックがなかったら、、、でも、きっと私は飽き性なので転職が続いていたと振り返る。

 

 

 

英会話のNOVAの役務保証の問題が起きた時で、今のカード決済が厳しくなったきっかけになった年でもある。